[ ロイ・オービソン ]     Roy Kelton Orbison


[ ロイ・オービソン ]  オールディーズ



♪  プリティウーマン  ( Oh, Pretty Woman )  ♪



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1936年4月23日アメリカ・テキサス州ヴァーノン生まれ。

60年代のアメリカン・ポップス&ロック界が生んだ最高のロックンローラーのひとり、

通称 「The Big ”O”」 と呼ばれています。

12歳の頃、学友と゛the Wink Westerners゛というカントリー&ウェスタン・グループを結成、

地元のイベント、ラジオ、テレビ番組などで演奏するようになります。

50年代半ば、この頃登場したロックン・ロールをレパートリーに取り入れ始め、

やがてバンド名を 「The Teen Kings」 として、1956年にはジュエルレコードから

[ ウービィ・ドゥービィ (The Ooby Dooby) ] でデビューします。

サン・レコードに移り、同曲を再リリースして59位を記録。

この頃サン・レコードから 「エルビス・プレスリー」 がRCAレコードに引き抜かれてしまい、

ロイをポスト・プレスリーとする方針を定めましたが、

このRCA期ではヒット曲に恵まれず、立て続けに出した3枚のシングルが何れも不発。

その後は大手のRCAレコードに移籍することになります。

彼のスタイルも、これまでのロカビリーから時代に反映してポップになっていくのですが、

なかなかヒットには恵まれませんでした。

1959年にモニュメント・レコードへ移籍すると、一転してヒット曲が続発します。

[ Only The Lonely (オンリー・ザ・ロンリー) ] (2位)

(後にビートルズがこの 「Only The Lonely」 を元にして 「Please Please Me」 を作ったのは有名な話です。)

[ Blue Angel ] (9位)

[ Running Scared ] (1位)

[ Crying (恋のむせび泣き)] (2位)

[ Dream Baby (How Long Must I Dream ) (夢見る乙女)] (4位)

[ Mean Woman Blues ] (5位)

[ In Dreams ] (7位)

[ Oh Pretty Woman ] (1位)

[ It's Over ] (9位)

・・ と、トップテンに9曲を送り込みました。

とりわけ1964年に発表された [ Oh Pretty Woman (オー・プリティ・ウーマン)] は、

全米・全英チャートでともに1位を獲得し、大きな成功を収めました。

オービソンの数あるヒット曲の中では、最も有名な作品となっています。

60年代前半のこの時期は、まさしくロイ・オービソンにとって「黄金期」でした。

1965年にはMGMと契約しましたが、以降の活動は不調が続きました。

同時期はプライベートでも大きな悲劇に見舞われています。

1966年、妻クローデットがバイク事故で、1968年には自宅の火事で2人の息子が亡くなります。

マーキュリー、アサイラムと移籍を繰り返した後は幾分好転し、映画に出演したり、

グラミー賞を受賞するなど、絶好調とはいかないまでも着実な成果もあげています。

1988年に、ボブ・ディラン、ジェフ・リン、トム・ペティ、ジョージ・ハリソン等と、

「 トラベリング・ウィルベリーズ 」 というユニットを結成、

多くのロックン・ロール、ポップス・ファンの注目を集め、

久々にミュージック・シーンの第一線にカムバックすることとなりました。

しかしその矢先の同年1988年12月6日、心臓病のため急逝。

52年の短い生涯に終止符を打ちました。

ヴェルベット・ヴォイスと呼ばれたファルセットのきいた高い声と、

哀愁のある美しいポップ・サウンドが特徴で、

日本では認知度は低いものの、ブルース・スプリングスティーン等、多くのアーティストに影響を与え、

ロックン・ロールの開拓者として、英・米では高い支持を得ています。

ラスト・アルバムとなった [ ミステリーガール ] は、彼の死後2ヶ月を経た1989年2月にリリースされ、

彼の長年のキャリアのなかでも最大のヒット・アルバム(全米No.5)となり、

又、初のプラチナ・アルバムともなっています。

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