[ メリナ・メルクーリ ]     Melina Mercouri


[ メリナ・メルクーリ ]  オールディーズ



♪  日曜はダメよ  ( Never on Sunday = Ta Pedia Tou Pirea )  ♪



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1925年ギリシャの首都アテネ生まれ。

祖父は元アテネ市長、父は元内務大臣という政治家一家に育ちました。

十歳の時すでに将来は「女優」と決めていましたが、家族の賛成は得られなかったようです。

内緒で国立劇場の演劇学校の試験を受け合格。1954年初めて映画 「ステラ」 に出演。

女性の生き方について、まだ保守的な考えの多いギリシアで、

自分なりに、自主的に生きていこうとする若い女性の物語。

この映画は評判もよく、1955年のカンヌ映画祭に出品されました。

メリナはここで生涯の伴侶となる、映画監督のジュ−ルス・ダッシンと出会います。

2人は1957年の 「宿命」 から1979年の 「女の叫び」 まで、

監督や共演者として行動を共にしています。1966年には結婚もしました。

1960年の 「日曜はダメよ」 は世界的な人気を得、

カンヌ国際映画祭女優賞、アカデミーで主演女優賞を獲得しました。

主役で娼婦を演じたメリナ・メルクーリが一番輝いていた時代ではないでしょうか。

1967年アメリカ・ブロードウェイで 「日曜はダメよ」 をミュージカル化した 「イリヤ・ダーリン」 が大ヒットします。

直後の4月21日母国ギリシアでク−デタ−が起こり、軍事政権が成立。

政権側は、軍事政権を批判する彼女の国籍を剥奪し国外追放、財産を没収してしまいました。

この一時期、彼女はアメリカで暮らす事を余儀なくされます。

1974年トルコとのキプロス紛争で、軍事政権が崩壊すると同時に帰国。

1977年の総選挙で当選し国会議員になり、1981年には文化科学大臣に就任。

同時に映画人生を引退した模様。

文化活動、環境保全活動など、政治家としてもその足跡は高い評価を得ました。

又ギリシャの女性の地位向上のために奮闘しました。

1984年には科学・文部大臣として来日もしています。

1994年、68歳で夫のジュールス・ダッシンに見取られつつ、肺がんで亡くなりました。

女優業と並行して歌手としても有名な彼女は、

「日曜日はダメよ」 以外にも、映画 「死んでもいい」 や 「トプカピ」 でも歌っています。

が、殆どの歌はギリシャ語ですから、日本では殆ど紹介されていません。




[ 参考 ]

★ メリナ・メルクーリ賞 ★
世界の主要な文化景観の保護と管理を目的とした、顕著な活動に対して功績をたたえることを目的としている。
1992年にサンタフェで開催された第16回世界遺産委員会において、
文化景観の保護が現代における優先分野の一つと認識されたことを受け、
ギリシャの文化大臣、女優であり景観保護と持続的開発の分野での先駆者である、
メリナ・メルクーリ氏にちなんで設けられた。


★ 欧州文化首都 ★
「真のヨーロッパ統合には、お互いのアイデンティティーとも言うべき、文化の相互理解が不可欠である。」
というギリシャの文化大臣メリナ・メルクーリ(当時)の提唱により、1985年より「欧州文化首都」制度が発足。
以来、EU加盟国(当時EC)の文化閣僚会議でEU加盟国の中から1都市を選び、「欧州文化首都」として定め、
一年間を通して様々な芸術文化に関する行事を開催し、相互理解を深める事となりました。
この制度には「政治的、経済的な条約や協定締結だけでは一つのヨーロッパの実現は難しく、
統合実現には文化が重要な役割を果たす。」という各国文化大臣の考え方も込められています。
尚、EU市場統合完成の1993年からは、EU域内と共に世界各国との共同作業が開始され、現在に至っています。


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